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【独占インタビュー】萩原利久、初のソウルファンミーティングへ 「どんなふうになるのか楽しみ!」
ドラマや映画で活躍を続ける俳優・萩原利久が、ソウルで初のファンミーティングを開催する。韓国でも大きな反響を呼んだドラマ『美しい彼』をきっかけに、海外からも注目を集める萩原。初めて日本を飛び出して行うファンミーティングへの思いをはじめ、仕事で大切にしていること、サッカーへの変わらぬ愛、韓国のファンに伝えたいことを聞いた。(c)コザイリサ  ――ご自身初となるソウルでのファンミーティングを控えた、今の心境を教えてください。「ファンミーティング自体、この前に先日、東京で初めて行わせていただいたのですが、やったばかりです。手探りでやってきた中で、いきなり日本の外でもやらせていただけるのは、すごくありがたいなと思います。どんなふうになるのか楽しみです」――ファンミーティングでは、俳優として作品の中で見せる姿とは違う、“素の萩原利久”を見ることができそうですか?「何かを演じた状態で立っているわけではないので、おそらく見てもらえると思います。普段は画面の中での姿をしか見てもらう機会が多いのでがなかなかないので、そこからはある意味で切り離したコミュニケーションの取り方ができるのかなと思っています。注目していただけたらうれしいです」  ――海外からの反響もたくさんある中、ご自身が特に強く実感した作品はありますか? 「海外の方に知ってもらえたのは、やっぱり『美しい彼』が圧倒的に多かったと思います。僕自身、日本以外から反応をもらったのも、たぶん『美しい彼』あれがほぼ初めてでした。日本しか見えていなかった中で、ガラッと世界が広がったような感覚がありました。何か一つ挙げるとするならば、それが一番大きいと思います」  ――仕事でもプライベートでも、大切にしていることは何ですか? 「演じているときもプライベートでも、人の話をよく聞くというのが、共通して一番大事にしていることかもしれません。昔は人の話をあまり聞けていなかったんです」  トップコート提供=(c)K Side――人の話をよく聞こうと意識するようになった、きっかけはありますか?「普通に当時担当だったしていたマネージャーさんに。『ちょっとしゃべりすぎ』と指摘されたんです。それからは意識して聞くようになりました。でも、確かにそうだなと(笑)」――サッカー好きで有名ですが、W杯は、試合をリアルタイムで見ることができましたか?「結構、仕事現場と重なっていたので、後から追いかけて見ることのほうが多かったです。見ている人をうらやましがりながら、追っかけで見ました」――日々忙しいかと思いますが、どのようにリラックスしていますか?「最近は、もう寝るに尽きます。実は7月って、基本的にサッカーがオフシーズンになるタイミングなので、見るものがなくなっちゃって一番働こうという期間なんです。この時期はがむしゃらに働く、というのが毎年のルーティンになっています」――なるほど。そんな時期にファンミーティングを開催するなんてファンもとても喜んでいると思います。韓国と聞いて、真っ先に思い浮かぶものは何ですか?「やっぱり僕の韓国のイメージは、ソン・フンミン選手なんですよね。プレミアリーグは長らく趣味として見ているので、韓国といえば最初に出てきます。マンチェスター・シティはスタジアムで苦しむ試合が多くて、ソン・フンミン選手に決められたこともあったので、いろいろな意味で強烈に直結していますね」――最後に、初のソウルファンミーティングを心待ちにしている韓国のファンへ、メッセージをお願いします!。 「ファンミーティングは、お芝居をしているときとは違う緊張感があります。でも、こういった機会をいただけるのは当たり前ではないですし、ありがたいことです。目いっぱい楽しんでいただけるように頑張りたいと思います。おいしいものも食べたいし(笑)。韓国でおすすめの食べ物などもあったら、ぜひ教えてください!」トップコート提供=(c)K Side 萩原利久(はぎわら・りく)  1999年2月28日生まれ。2008年にデビュー。2021年のドラマ『美しい彼』(MBS)で注目を集め、さらに映画やドラマを中心に活躍。主な出演作に、映画『劇場版 美しい彼~eternal~』『ミステリと言う勿れ』『朽ちないサクラ』『キングダム 大将軍の帰還』『世界征服やめた』、ドラマ『月読くんの禁断お夜食』『真夏のシンデレラ』『たとえあなたを忘れても』『めぐる未来』『降り積もれ孤独な死よ』『リラの花咲くけものみち』、連続テレビ小説『おむすび』など。待機作に、声優を務める『花緑青が明ける日に』がある。先日、出演が発表されたNetflix作品『ダウンタイム』について、「Netflixなので、日本に限らずいろいろな国で見ていただける作品になると思います。どこにいても同じタイミングで見てもらえるので、楽しみにしてもらいたいです」と語った。 取材・文=Ikushima Maki
2026-07-20
韓流ブームの前から韓国を追い続けてきた―― 「語る、伝える」で日韓をつなぐ作家・佐藤結
前編【日韓ビジネス仕事人 file.007】 作家 佐藤結1990年、まだ「韓流」という言葉が生まれるより前に、一人の日本人学生が韓国へ留学した。 その後、日本語教師や演劇制作の仕事を経て、映画に関わる編集の現場へ。『キネマ旬報』との縁から韓国映画の取材を始め、『シュリ』以降の韓国映画ブーム、そして『冬のソナタ』から広がった韓流ブームを、現場で見続けてきた。 映画ライターとして数多くの作品や俳優、監督を取材する一方、映画イベントの司会や聞き手、韓国ドラマに関する執筆、小説の翻訳など、その活動は幅広い。 韓流ブームの前から韓国映画を追い続けてきた佐藤結氏に、韓国との出会いと「伝える仕事」の原点を聞いた。  佐藤結さん。2025年9月ソウルの梨花洞壁画村にて=本人提供(c)K Side――韓国との最初の出会いは、大学時代の留学だったそうですね。 「はい。大学に交換留学制度があり、もともと学生のうちに一度は海外へ行ってみたいと思っていました。 当時、交換留学をする学生の多くはアメリカを選んでいたんです。でも大学生ですから、少し生意気なところもあって(笑)、みんなが行くところとは違う場所へ行ってみたいと思いました。 アジアの留学先として韓国、フィリピン、香港などがあり、その中から韓国を選びました。今振り返ると、なぜ韓国だったのだろうと思うくらい、当時は韓国についてほとんど知識がなかったんです。韓国が特別に好きだったからというより、知らない場所へ行ってみたいという好奇心のほうが大きかったと思います」 ――当時の韓国は、現在とはまったく違う雰囲気だったのではないでしょうか。 「1990年9月から、10カ月ほどソウルで過ごしました。当然ですが、韓流ブームのようなものはまったくありません。 韓国では長く続いていた独裁体制が民主化を求める学生や市民の粘り強い対抗の末に1987年にようやく倒れ、1988年にはソウルオリンピックが開催されていたんですね。ただ、私自身はそうした社会的背景を十分に理解して渡ったわけではなく、現地で暮らしたり、後から勉強したりする中で知っていきました。 当時は学生運動もまだ盛んでしたし、街にも今とは違うエネルギーがあったのを覚えています。現在のソウルは非常に洗練されていて、日本から旅行で訪れる人も多く、ネットでなんでも見られますから親近感がありますよね。でも当時は似ている部分もありながら、まったく違う。少しゴツゴツした、独特の感触がありました。 民主化直後ではありましたが危険を感じたということではありません。自分自身、家を離れて生活したのが初めてということもあって、知らない世界へ放り込まれたような面白さがありましたね」 留学時代の写真=本人提供(c)K Side ――その面白さにハマって、韓国に関わる仕事へ進もうと思ったのでしょうか? 「まったく違うんですよ。留学から帰国して大学を卒業した後は、日本語教育を学ぶ大学院へ進みました。外国人に日本語を教える仕事に興味を持ち、修了後は地方にある大学で日本語教師の職に就きました。 ただ、実際に仕事をしてみると、組織の中でうまく働くことができず、1年ほどで東京へ戻りました。その後は演劇祭の制作など、演劇に関わるアルバイトをしていました。 留学から韓国映画の仕事を始めるまで、実は10年ほどあります。その間は、自分が何を仕事にしたいのかをずっと模索していた時期でした」 ――そうなんですか! そこから「書く仕事」を目指すようになったきっかけは何だったのでしょうか? 「演劇制作の仕事をしながら、何かを書くことをやってみたいと思うようになりました。今はなくなってしまった日本ジャーナリスト専門学校の短期コースに通って文章を書く勉強をしました。 実際に書いてみたことで、“もしかしたら、自分にもできるかもしれない”と思えたんです。それから編集関係のアルバイトを始めました。 たまたま携わった編集の仕事が映画関係で、そこで雑誌『キネマ旬報』の方と知り合いました。その出会いが、韓国映画の仕事につながっていきました」 ――韓国のお仕事が始まったのは、どのような流れからだったのでしょうか。 「日本で映画『シュリ』が公開されたのが2000年です。その頃、韓国映画はドラマよりも一足早く、日本で注目され始めていました。『シュリ』も大ヒットでした。そんな流れもあって、『キネマ旬報』が韓国の映画雑誌『CINE21』と連携する話があり、韓国語ができる人を探していたんです。知り合いから『韓国語ができたよね』と声をかけてもらいました。 ただ、当時の私の韓国語は本当におぼつかないものでした。留学も10カ月ほどで、韓国映画にもそれほど詳しくなかったですし。でも周囲に韓国語ができる人が少なかったこともあり、『せっかくだからやってみよう』と仕事を始めました。 最初はインタビュー原稿を書いても、先輩の編集者から『これでは原稿になっていない』と言われるような状態でしたが、取材の仕方も文章の書き方も、現場で一から教えていただきました」 ――最初の頃は、どのような取材をされていたのですか? 「韓国俳優が出演する日本映画の撮影現場や、来日した俳優の取材などです。ソン・チャンミンさんやチャン・ドンゴンさんを取材したのも、その頃だったと思います。 当時は、日本と韓国で合作映画を作ろうという動きもあり、韓国の俳優が日本で撮影する機会もありました。韓国語で直接インタビューすることもありますが、複雑な質問を正確に、限られた時間で伝えるためには、通訳の方に入っていただくことが多いです。こちらの質問だけ韓国語で伝え、回答はそのまま聞くという形もあります。 取材では相手の話をきちんと引き出し、正確に伝えることが一番大切です。そのため、今でも必要に応じて通訳の方にお世話になっています」 ――韓国映画の取材を始めた頃、後にこれほど大きな韓流ブームが起きると予想していましたか? 「まったく予想していませんでしたね。私は韓国映画から仕事を始めましたが、2004年頃から『冬のソナタ』をきっかけに韓流ブームが本格化し、ドラマに関する仕事も一気に増えていきました。 『キネマ旬報』でも、『冬のソナタ』の日本語と韓国語を並べたシナリオブックを出版したり、韓国俳優を表紙にしたりするようになりました。やっぱりヨン様、ペ・ヨンジュンさんの人気はものすごかったですよね。そうやって映画を取材していたところへ、突然ドラマの大きな波がやってきたんです。そこから韓国エンターテインメントを取り巻く状況が、ものすごい速さで変わっていきましたね」 韓流という言葉が一般に広がる前から、韓国映画の現場を歩き始めた佐藤氏。後編では、韓流ブームの熱狂、スターたちへの取材、2000年代の韓国映画が持っていたエネルギー、そして現在取り組んでいる「映画と本」をつなぐ活動について聞く。 佐藤 結(さとう・ゆう) 映画ライター。韓流ブーム以前から韓国映画を取材し、『キネマ旬報』をはじめ各媒体で映画や韓国ドラマに関する記事を執筆。映画監督イベントの司会・聞き手も多数務める。小説翻訳にも携わり、イ・ドウ著『私書箱110号の郵便物』(アチーブメント出版)の翻訳を担当。【後編】へ続く取材・文=Ikushima Maki
2026-07-20
アート業界へ転身したソン・インジ(INJI ALEXIA SONG)氏の未来への挑戦
後編【日韓ビジネス仕事人 file.006】 AAO Korea代表兼Complec Korea代表 ソン・インジ ニューヨークで法学を学び、コンサルタントとしてキャリアを積んだ、ソン・インジ氏。後編では彼女が仕事で大切にしている哲学、アーティストを見る基準、そして日韓カルチャーの未来について聞いた。 ソン・インジ代表=本人提供(c)K Side 【前半】はこちら ―お仕事をするうえで、最も大切にしていることは何ですか。また、絶対に妥協しない部分があれば教えてください。「私が仕事をするうえで最も大切にしているのは、『信頼』と『実行力』です。 私は、言葉だけが上手な人をあまり信頼しません。優れたアイデアやビジョンを語ることは、誰にでもできます。でも、それを実際に実行し、結果につなげることはまったく別の問題です。もちろん、そうした部分は一緒に仕事をしてみないと分からない場合もありますが、意外とすぐに見えてくることもあります。カルチャー業界は、外から見ると華やかに見えるかもしれません。でも実際には、とてもシビアな世界です。どれほど素晴らしい構想があっても、実行できなければ意味がありません。結局、重要なのは結果を出せるかどうかなのです。すべてのプロジェクトは、人と人との信頼を基盤に成り立っています。その中で、どれだけ責任感を持って最後まで走りきれるかが大切です。 私は完璧な人よりも約束を守る人が好きです。そして、言葉ではなく結果で証明する人に惹かれます。一方で、絶対に妥協できないのは『真実性』です。文化、芸術、コンテンツという仕事は、人の感情や価値観と深く結びついています。短期的な利益だけを追いかけて本質を失ってしまうと、長く続けることはできません。だからこそ、どんなプロジェクトでも『なぜこの仕事をするのか』という明確な理由を持ち、真摯に向き合うことを最も大切にしています」―SNSやショート動画の広がりによって、アーティストの役割や活動の仕方も大きく変化しています。この変化をどのように見ていますか。「変化のスピードは、明らかに以前よりもはるかに速くなっています。かつては、作品そのものが評価の中心でした。でも今は、制作過程、日常、考え方まですべてがコンテンツになる時代です。アーティストが直接ファンとコミュニケーションを取る機会が増えた一方で、絶えず自分を見せ続けなければならないというプレッシャーも生まれています。ただ、最も重要なのはプラットフォームではありません。どのSNSを使うか、どのような方法で発信するかよりも大切なのは、自分だけの声と世界観を保ち続けられるかどうかです。情報があふれる時代だからこそ、最後まで残るのは『一貫性』です。何を見せるにしても、その人らしさが感じられること。それが、これからますます重要になっていくと思います」 ―新人アーティストやクリエイターを育成する際、最も重視している資質は何ですか。「大きく二つあります。一つ目は、真実性です。最初から完成されている人はほとんどいません。でも、学び続け、失敗を受け入れ、自分の道を着実に歩んでいく人は、必ず成長します。二つ目は、自分だけのアイデンティティと世界観です。私は単に才能だけを見ているわけではありません。その人がどんな価値観を持ち、どのような視点で世界を見ているのかを、とても大切にしています。才能があっても、自分自身を閉ざしてしまう人とは一緒に進むのが難しいです。反対に、まだ完成されていなくても、開かれた心で学び、柔軟に受け入れ、自分自身と真剣に向き合える人には、大きな可能性を感じます。作品だけでなく、その人自身から何がにじみ出ているのかが重要です。アーティストは、作品だけでなく存在そのものでも物語を伝える人だと思っています。だから私は、優れた才能以上に、その人だけの視線を持っているかを見ています」2024年ケイマン諸島で開催されたカンファレンス「100WomenLeadershipConvention」で、韓国の女性リーダー代表として、トークセッションに登壇するソン・インジ代表=本人提供(c)K Side ―韓国と世界をつなぐ活動の中で、最も難しかったことは何ですか。「言語の違いよりも難しかったのは、文化的な違いを理解し、それをどのようにローカライズするかということでした。同じコンテンツやプロジェクトであっても、国や市場によって期待される形はまったく異なります。意思決定のスピードも違えば、価値観も違い、魅力的だと感じるポイントも異なります。そして、グローバルビジネスにおいて最も重要な要素のひとつが『ローカライゼーション』だと思っています。それは単に言語を翻訳することではありません。その地域の文化や文脈を深く理解しながら、本来の価値やアイデンティティを失わないバランスを見つけることです。そのためには、相手を理解しようとする姿勢が必ず必要です。絶えず対話し、お互いの違いを認め合い、共通の目標を見つけていくこと。その積み重ねが、最終的に信頼につながるのだと思います」 ―今後、日本と韓国の文化はどのような形で、より深くつながっていくと思われますか。「韓国と日本の文化は、すでに非常に深くつながっていると思います。それは決してK-POPだけを意味するものではありません。より広く見れば、音楽、ファッション、アート、ゲーム、アニメーションなど、ほぼすべての分野で両国のクリエイターとファンはリアルタイムに影響を与え合っています。かつては、コンテンツを輸出し、消費するという関係でした。でも、これからは変わっていくでしょう。私は、これからの時代は『交流』ではなく『共同創造』の時代だと考えています。実際に私自身も、『ComplexCon』のようにアート、音楽、ファッション、IPが交差するプロジェクトを通じて、その可能性を強く感じています。韓国と日本には、それぞれ異なる強みと文化的背景があります。日本には、長い時間をかけて蓄積されてきた圧倒的な完成度と職人精神があります。一方、韓国にはスピード感と市場の変化に対する高い対応力があります。この二つが結びついたとき、これまでになかった新しいカルチャーやコンテンツが生まれるはずです。日韓両国の可能性は非常に大きいと思います。両国の創造性が本当の意味で出会う瞬間、その影響力はアジアを越え、世界のカルチャーそのものを動かす力になるでしょう。韓国と日本は、これからグローバルカルチャーの未来を共につくっていく、非常に重要なパートナーになると確信しています」 ―最後に挑戦したいこと、そして若い世代に伝えたいメッセージがあればお願いします。「昨年、台湾で大型カルチャーフェスティバル『ComplexCon』を開催しました。その経験を通じて、カルチャーが国境を越えて人と人をつなぐ瞬間を、改めて強く実感しました。私が目標としているのは、文化、芸術、ライフスタイルがひとつにつながるグローバルな文化プラットフォームをつくることです。単に展示を見せたり、コンテンツを紹介したりするだけではなく、人々が新しい文化を体験し、交流し、インスピレーションを得られる場をつくりたいと思っています。韓国、日本、そしてアジアには、世界の舞台で活躍できる優れたクリエイターがたくさんいます。私は、彼らがより大きな舞台で自由に羽ばたけるよう、つなぎ、支える存在になりたいです。若い世代には、トレンドを追うこと以上に、自分だけの視線を持ってほしいと伝えたいです。文化や芸術は、正解を探す世界ではありません。むしろ、新しい問いを投げかける世界です。多くの経験をし、さまざまな人に出会い、広い視野で世界を見てほしいと思います。結局、自分だけの視線こそが、最大の競争力になるはずです」韓国、日本、そしてアジア。その文化を世界とつなぐ新たなハブをつくる。ソン・インジ氏が見据える未来は、国境を越え、ジャンルを越え、文化そのものの可能性を広げている。彼女の挑戦は、まだ始まったばかりだ。 ソン・インジ(INJI ALEXIA SONG) AAO Korea代表兼Complex Korea代表。アメリカのニューヨークで法律を学び、企業の海外進出を支援するコンサルタントを経て、2014年よりギャラリスト、アートディレクターとして活動。若手アーティストの発掘・育成に取り組むなど、日韓をはじめ世界を舞台にカルチャービジネスを展開している。 取材・文=Ikushima Maki 
2026-07-13
アートで世界をつなぐ―― ソン・インジが挑む日韓カルチャービジネス
前編【日韓ビジネス仕事人 file.006】 AAO Korea代表兼Complex Korea代表 ソン・インジ 韓国発のカルチャーが世界で存在感を高めるなか、アートやIPビジネスの分野でも新たな動きが加速している。その中心で、韓国と日本、そして世界をつなぐ存在として注目されているのが、AAO Korea代表兼Complex Korea代表のソン・インジ(INJI ALEXIA SONG)氏だ。ニューヨークで法学を学び、コンサルタントとしてキャリアを積んだのち、アート業界へ転身。現在はギャラリー運営や新進アーティストの育成を通じて、新たなカルチャーの可能性を広げている。前編では、独自のキャリアと日韓ビジネスへの視点を聞いた。 アート&ファッションイベント『MESS』にて、パネルトークのモデレーターおよび進行役を務めるソン・インジ代表=本人提供(c)K Side―現在のお仕事について教えてください。「現在、All At Once Ltd.グループが保有するIPメディアグループ『Complex』で、AAO Korea代表およびComplex Korea代表を務めています。『Complex』は、アメリカ・ニューヨークで始まったカルチャーメディアで、ファッション、アート、音楽、スニーカー、エンターテインメントなど、さまざまな文化を扱うプラットフォームです。単なるメディアにとどまらず、展示、コンベンション、イベントなどを通じて、カルチャーそのものを直接体験できる場をつくっています。代表的な例が、ファッション、音楽、アート、スニーカー、フードが融合した大型カルチャーフェスティバル『ComplexCon』です。『AAO Korea』は、香港を拠点とするIPホールディング企業ネットワークの一員として、エンターテインメントおよびカルチャービジネス全般を展開しています」 ―ニューヨークで法学を学ばれたと伺いました。その後、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。「2008年にアメリカのロースクールを卒業した後、ニューヨークでコンサルティング業務に携わってきました。専攻は金融および企業法務で、主に韓国企業がアメリカに進出する際の法人設立や金融構造の設計など、ビジネスの基盤づくりを支援していました。 もともとアメリカ、特にニューヨークという街に憧れがありました。実際に暮らしてみると、ニューヨークは想像以上に文化的な刺激にあふれた都市でした。ファッション、アート、音楽、フードなど、あらゆるカルチャーが自然に共存し、強いエネルギーを生み出していたんです。その環境のなかで、次第に『ビジネスとしてカルチャーに関わってみたい』という思いが大きくなっていきました。もちろんアートやファッションが好きだったこともあります。法律やコンサルティングの仕事を通じて企業の成長を支える楽しさもありましたが、同時に、自分が本当に情熱を注げる分野は何なのかを考えるようになりました。そして、その答えがカルチャーとアートだったんです」 ―アートギャラリーの運営や新進アーティストの育成に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。「2014年に韓国へ戻ったとき、ギャラリーを運営していた友人から『経営パートナーとして一緒にやってみない?』と誘われたことがきっかけでした。それもすんなりではないし、簡単な決断ではありませんでした。法務コンサルティングとはまったく違う世界でしたし、自分のキャリアを大きく変える選択でもありました。ただ、先ほどもお話したように、もともとファッションやアートへの関心が強く、『今挑戦しなければ後悔するかもしれない』という思いもあったからです。 ただ実際に現場に入ってみると、韓国のアート市場の構造がよりはっきりと見えてきました。新進、あるいは無名のアーティストたちが活動できる場が、まだ限られていたんです。当時は、すでに評価が確立された作家や有名アーティストに関心が集中する雰囲気がありました。一方、ニューヨークには新しい才能を発掘し、成長させ、世の中に紹介していくシステムが整っていました。その違いを知っていたからこそ、『韓国でも、まだ誰も十分に挑戦していない領域に挑みたい』と思えたのです。それがGallery STANを設立し、新進アーティストの育成に力を入れるようになった大きな理由です」―日本で活動するようになったきっかけは何だったのでしょうか。「日本での活動は、その多くが日本の関係者の方々からのご提案で始まりました。『PARCO MUSEUM』での展示、ギャラリー企画、『X-LARGE』との協業、日本のアーティストたちとのプロジェクトなど、さまざまなご縁を通じて多くのプロジェクトが実現しました。日本市場はアートやカルチャーへの理解が深く、作品そのものの価値をとても丁寧に見てくださる印象があります。ただ、アートをビジネスとして発展させる部分では、まだ成長の余地があると感じています。実はこの点は、韓国も似ています。 一度、日本の若い作家とアート釜山のアートフェアで直接お会いし、お話する機会がありました。その方は、日本で活動することは簡単ではなく、認められる機会も多くないと話していました。その作家は韓国のアートシステムに魅力を感じていて、一緒に何かをやってみたいと提案してくださったんです。 日本には、まだ見えない壁があると感じている方も少なくありません。だからまずは韓国から始めて、より多くの人に作品を見せたいとおっしゃっていました。実際にその方の作品はとても素晴らしく、現在も積極的に一緒に活動しています」―日本と韓国では、アーティスト育成やコンテンツ制作にどのような違いがあると感じていますか。「アート業界に限って言うと、日本には今も徒弟制度的なシステムや、比較的保守的な育成方法が残っている印象があります。もちろん、それは否定的な意味ではありません。基礎をしっかり積み上げ、長い時間をかけて完成度を高めていく強みがあるからです。一方、韓国はこの10年で環境が大きく変わり、新しいアーティストやクリエイターたちが挑戦しやすい土壌がつくられてきました。トレンドに対する感覚が非常に早く、変化への対応スピードも速いです。 コンテンツ制作においても、日本は企画から実行、成果が出るまでをじっくり育てていく傾向があります。一方で韓国は、企画から実行、改善までのサイクルが非常に速いです。体感として、日本より50%以上速いと感じることもあります。どちらが優れているという意味ではありません。それぞれに異なる強みがあると思っています」―韓国エンターテインメントが世界的に愛される理由は何だと思われますか。「最大の強みは、伝統と現代、ローカルとグローバルを同時に深く理解している点だと思います。韓国のクリエイターたちは、自国の文化的アイデンティティを大切にしながら、それを世界中の人々が共感できる形に変える力を持っています。ローカルでありながら、同時にグローバルでもある。このバランス感覚が非常に優れています。また韓国では、音楽、ファッション、アート、ゲーム、テクノロジーなど、異なる産業が有機的につながっています。 ひとつの分野で終わるのではなく、さまざまな領域を行き来しながら新しい価値を生み出しているのです。この構造そのものが、韓国カルチャーの強力な競争力だと思います」 ソン・インジ代表=本人提供(c)K Side ソン・インジ(INJI ALEXIA SONG)AAO Korea代表兼Complex Korea代表。アメリカのニューヨークで法律を学び、企業の海外進出を支援するコンサルタントを経て、2014年よりギャラリスト、アートディレクターとして活動。若手アーティストの発掘・育成に取り組むなど、日韓をはじめ世界を舞台にカルチャービジネスを展開している。 【後編】へ続く 取材・文=Ikushima Maki
2026-07-06
日韓ビジネスの最前線へ――Hyperithm CEO ロイド・リー氏が描くビジネスの展望と、新たなシナジーに迫る
後編【日韓ビジネス仕事人 file.005】 Hyperithm代表 ロイド・リー 韓国・ソウル出身のロイド・リー氏は、ソウル大学、シンガポール国立大学への交換留学を経て、早稲田大学大学院経営管理研究科(WBS)でMBAを取得。2022年には米経済誌『Forbes』の「30 Under 30 Asia」に選出されるなど、日韓ビジネス界での次世代を担うキーパーソンだ。後編では、国境を越えて挑戦を続けるロイド・リー氏が描く未来像に迫る。【後編】Hyperithmの仲間たち=同社提供(c)KOREA WAVE 【前編】はこちらから ―日本と韓国のビジネス環境の違いをどう感じますか?両国のビジネス環境や国民性の根底にある思考プロセスは、驚くほど異なります。日本は極めて強固な「信用社会」です。ビジネスにおいて物理的な拠点や実体(フィジカルプレゼンス)を非常に重視する傾向があります。日本国内に法人がなく、人がいない状態のまま信頼を獲得して取引を展開できるケースは極めて稀です。相手のバックグラウンドや素性、リアルなつながりを何よりも大切にします。時間軸やアクションに対するアプローチも対照的です。韓国が素早く動き、予期せぬ事態には臨機応変に対処するのに対し、日本はリスクを事前にすべて列挙したマニュアルを作成し、時間をかけてでも完成度を追求します。遅れるリスクがあるなら最初から前倒しで取り組むという姿勢です。この違いは投資の世界でも顕著に現れます。韓国の投資家は比較的ギャンブルを好む傾向があり、市況が良い時の資金流入の勢いは凄まじい半面、パフォーマンスが少しでも悪化すると即座に資金を引き揚げる離脱の早さがあります。一方、日本の顧客は短期的な数字の変動よりも、長期的な人間関係や信頼関係を重視してくださいます。いったん「この企業なら信用できる」と判断してお金を預けていただくと、市場が一時的に浮沈しても、長期間にわたってじっくりと資産を委ねてくれる安定性があります。現在、弊社の預かり資産のうち約30%が日本国内の顧客であり、そこに複数の国内銀行や大手証券会社、東証上場企業などが名乗りを上げているのも、時間をかけて培った信用が結実した結果だと考えています。ちなみに米国は完全に「システムと数字の社会」であり、監査や外部検証を通過していないバランスシート(貸借対照表)は一切信用しないという割り切った合理主義が貫かれています。 ―そんなロイドさんには、今の韓国社会はどのように映りますか?韓国の前大統領のユン・ソンニョル(尹錫悦)氏は「韓国そのもの」のように思えます。ユン・ソンニョル氏は、司法試験に9年間挑戦し続けて合格した経歴を持ちます。この事実自体が、1回の成功にすべてを賭ける韓国的な馬力を象徴していると感じます。システムやマニュアルに依存するのではなく、個人の強烈な実行力や裁量、そして大きな賭けに勝つことで局面を打破していくスタイルは、まさに韓国のダイナミズムそのものと言えます。人の裁量が色濃く反映される点において、韓国社会の縮図のような人物だと捉えています。 ―今後の日韓関係についてどう見ていますか?政治のリーダーシップにおいて、お互いに配慮し合い、違いをコントロールできる成熟した関係が構築されつつあると感じています。日本の高市早苗首相や韓国のイ・ジェミョン(李在明)をはじめとするリーダー層も、実利的な外交スタンスを見せており、国際情勢の荒波を乗り切るために、お互いの立場を尊重しながら実務的な協力を進めていく現実路線が選択されています。過去数年間を振り返っても、歴史問題などが過度に泥沼化して両国関係を根本から揺るがすような決定的な決裂は見られませんでした。一時的な摩擦が生じたとしても、それを適切にマネジメントできる関係へと進化しているのではないでしょうか。 ―日本の若者へのメッセージをお願いします。今の日本社会には一定の閉鎖的な空気が漂っており、他者や多文化とのポジティブな競争を通じて互いを高め合うようなマインドがやや希薄になっている印象を受けます。インバウンド(訪日外国人)の急増により外国人と接する機会は増えたように見えますが、それはあくまで「顧客と店員」としての関係であり、本質的な文化交流や切磋琢磨には至っていません。しかし、ビジネスの世界を見渡せば、エンターテインメントに限らず、多様なグローバル領域で一流の仕事を実装している優秀な人材がアジアや世界に溢れています。私自身、東京に住んでビジネスを展開する中で、日本の「平和で治安が良い環境」や「独自のコンテンツの奥深さ」は、極めて高く評価されるべきアドバンテージだと実感しています。特に、言語や現地文化を深く理解することで初めてアクセスできる日本のインナーサークルやビジネスの資産は、外国人の視点から見ると著しく過小評価されています。一方で、日本国内の居心地の良さに浸りすぎると、現状維持の惰性に陥ってしまうリスクもあります。若い人たちには、日本が持つ圧倒的な強みを理解しつつも、定期的に海外へ飛び出して「モチベーション・ショット(刺激や活力)」を自らに注入してほしいと思います。多様な世界と自分を比較し、国境を越えた挑戦に果敢に乗り出す若い世代が増えることを期待しています。Hyperithmのロイド・リー代表=同社提供(c)KOREA WAVE ロイド・リー代表 資産金融サービスプロバイダー『Hyperithm』の創業者兼CEO。日本と韓国を拠点に機、関投資家や適格投資家を対象とした暗号資産のウェルスマネジメント事業を展開。 取材・文・写真=KOREA WAVE編集部
2026-06-29
【推しの予感 NEXT BREAKER’S vol.3】 名曲OSTを届ける歌姫 クォン・ジナが日本のファンに贈るスペシャルメッセージ
言葉が違っても、音楽は心を動かす——。日本初の単独コンサートを成功させた韓国のシンガーソングライター、クォン・ジナ。観客の涙に胸を打たれたという彼女が、初の日本公演で感じたこと、創作への思い、そして未来への目標をK Sideに語った。アナザー提供(c)K Side―日本で初めて単独コンサートを終えた今、率直な感想を教えてください。「どう受け止めてもらえるかとても心配していたのですが、大きな歓声で迎えてくださって、本当に嬉しくて楽しくステージに立てたと思います。まだ拙いですが、MCもすべて日本語で準備していったのですが、それも温かく受け取っていただけた気がします。amazarashiさんの『僕が死のうと思ったのは』を歌ったとき、思わず込み上げてきたことも印象に残っています。また日本で公演したいです」 ―日本のファンの反応の中で、特に印象に残っている瞬間があれば教えてください。「『I got lucky(韓国語タイトル:운이 좋았지)』という曲を歌っているとき、最前列にいらっしゃった女性の方がずっと涙を拭っているのが見えました。その姿を見て、私もつられて胸がいっぱいになって……。みんな、韓国語をお勉強されているのでしょうか。歌詞を理解してくださっていたのか、それとも言葉がわからなくても音楽として感じてくださったのかは分かりませんが、言葉が違っても感動を届けられることが嬉しかったです」 ―美しい歌声ですから。そんな美声を保つために、普段行っているルーティンや健康管理法はありますか?「しっかり栄養を取って、規則的に運動して、よく寝る。それ以外に特別なことはあまりない気がします。でも、シンプルだからこそ一番続けるのが難しいことでもあると思います」 ―これまでの音楽人生を振り返って、「この曲を書いたことで自分自身の価値観や考え方が変わった」と感じる楽曲はありますか?「『The Way For Us(韓国語タイトル:우리의 방식)』というアルバムの最後のトラック『The Dreamer(韓国語タイトル:여행가)』という曲です。この曲を書いていたときのことは今でも鮮明に覚えています。生まれて初めて、自分の力を信じてみようと決心した瞬間でした。それまではずっと自分を信じることができなかったんです。一つひとつ自分で決めていく中で怖さもありましたが、振り返るとあの瞬間が今の自分を作ってくれた大切な時間でした。「怖くてもやるべきだし、やればできる」ということを学びました」アナザー提供(c)K Side―クォン・ジナさんの楽曲には言葉にしにくい感情や心の揺れが繊細に表現されていますが、曲のアイデアはどんなときに浮かびますか?「予想もしない瞬間に、プレゼントのように訪れます。歩いているとき、会話しているとき、音楽を聴いているとき、映画を観ているときなど、ふとアイデアがひらめきます。不思議ですよね。私自身もいつ来るのかは分かりません。日常の中で本を読んだり、人の人生や世界をよく観察したり、素敵な作品に触れてインプットを重ねていくと、ある瞬間に吐き出すように歌詞が生まれるのだと思います」 ―日本の音楽やアーティストで影響を受けた方、または好きな方はいますか? また、今後コラボしてみたい日本のアーティストは?「中島美嘉さんはずっと素敵だと感じています。今回のコンサートで歌った『僕が死のうと思ったのは』も、中島美嘉さんバージョンで初めて知りました。いつか一緒に歌えたら本当に光栄です」 ―デビューから今までを振り返って、過去の自分に一言かけるとしたら?「怖いのは当たり前だし、未熟なのも当たり前。だから自分を責めすぎず、一つずつ目の前のことをやっていけば、いつか自分が望んでいたことを実現できるよ、と伝えたいです」 ―日本語がとてもお上手ですが、普段どのように勉強していますか?「実は、コンサートで話したように流暢に話せるわけではありません。先生と一緒に何度も読み返して、口に馴染ませて“上手に見えるように”がんばったんです(笑)。うまく見えたなら成功ですね! 日本語の先生とZoomでレッスンをしていますが、正直なところあまり真面目にできていませんでした。でも今回のコンサートを通して言語の大切さを強く実感したので、EP活動が終わったらまたがんばりたいと思っています!」 ―最近ハマっていることは?「アリアナ・グランデが最近新作を出したんです。昔から大ファンなので本当に嬉しくて、初期から最新のMVまで一気に見ていたら、気づけば朝5時でした(笑)。とても楽しかったです」 ―今回の日本初単独コンサートをきっかけに、日本での活動を期待するファンも増えたと思います。今後、日本で挑戦したいことや目標を教えてください!「まずは、日本でもっとたくさん公演をしたいです。まだ私を知らない方、そして待っていてくれるファンのみんなのためにも、もっと日本に来たいです。そんなに簡単に実現できることではありませんが、来られるならいつでも駆けつけたいと思います。そのためにも、日本語の勉強ももっとがんばらないといけない。がんばります!」  7月15日リリースのEP『SAVE ME』は、クォン・ジナにとって新たな挑戦となるROCKジャンル作品。これまでとはまた違った魅力を見せる最新作として注目を集めている。 アナザー提供(c)K Side 【PROFILE】クォン・ジナ(Kwon Jin Ah)シンガーソングライター。2013年、韓国のオーディション番組『K-POP STAR Season 3』でTOP3入りを果たし、その実力が注目を集める。2016年にデビュー後は、繊細な歌詞と温かくも力強い歌声で支持を拡大。恋愛や孤独、揺れ動く感情を丁寧に描いた楽曲で、多くのリスナーの共感を集めている。2026年、日本で初となる単独コンサートを成功させ、日本のファンとの特別な時間を作り上げた。今後の日本活動にも大きな期待が集まっている。7月15日に EP『SAVE ME』発売。プレリリースシングル『Rain on me』は、6月23日により先行公開中。 取材・文=Ikushima Maki (c)K Side   
2026-06-28
日韓ビジネスの最前線へ―Hyperithm CEO ロイド・リーが日本を選んだ理由
前編【日韓ビジネス仕事人 file.005】Hyperithm 代表 ロイド・リー 韓国の起業家たちが、いま次々と世界へ打って出ている。その中でも、日本を拠点に金融の未来を切り拓く存在として注目を集めているのが、暗号資産運用サービスを展開するHyperithm CEO、ロイド・リー(李沅俊)代表だ。高校3年で初めて起業して以来、立ち上げた会社は4社。韓国、シンガポール、日本というアジアの主要市場を横断しながら、独自の視点でビジネスを築いてきた。デジタル資産市場が急速に進化する中、日韓ビジネスの最前線で挑戦を続ける若い起業家は、日本市場をどう見ているのか。そして、韓国と日本、それぞれのビジネス環境にどんな本質的な違いを感じているのか。国境を越えて走り続けるLloyd Lee氏に、その思いを聞いた。(前編)Hyperithmのロイド・リー代表=同社提供(c)KOREA WAVE ―来日のきっかけを教えてください。2017年、24歳の時に日本に渡りました。高校3年の時から起業に取り組んでいます。最初に手掛けたのは、模擬国連を対象としたカンファレンス事業でした。ソウル大学在学中の2013年には、学内で広く知られるオンラインコミュニティ「ソウル大竹の森(ソウルデ・デナムスプ)」を立ち上げ、さらに共同創業者として共同購買プラットフォーム「Seoulprice」の運営などにも携わりました。日本との血縁や学縁は一切ありませんでした。韓国で偶然、料理教室を展開する「ABCクッキングスタジオ」の創業者ファミリーと知り合ったことです。当時は同社の名前すら知りませんでしたが、その縁から2017年に来日し、創業者のファミリーオフィスで秘書として働き始めました。カバン持ちからミーティングへの同席、経理業務に至るまで、文字通り右腕として実務全般を担う貴重な経験を積みました。 ―ビットコインとの出会いはどのようなものでしたか?当時、日本での給与を韓国へ送金する際、大手銀行の窓口を利用すると1回あたり約8000円の手数料を徴収されていました。10万円を送金するだけで約8%が目減りしてしまう状況に疑問を抱き、別の手段を調べる中で行き着いたのがビットコインを用いた海外送金でした。2017年5月のことです。調べてみると、当時のビットコイン価格は日本で約30万円だったのに対し、韓国では約33万円で取引されていました。手数料を節約する目的で送金しただけなのに、国境を越えると資金が増えるという不思議な現象が生じていたのです。これが、韓国市場で暗号資産が海外よりも高く買われる「キムチプレミアム」と呼ばれる現象で、一時期は最大で40%もの価格乖離が発生しました。日本で150万円のビットコインが韓国では210万円相当になる計算で、日本で購入して韓国で売却すれば、それだけで莫大な差益(アービトラージの機会)が残る環境でした。 ―その価格差に着目したわけですね。そうです。事業化を進められないかと考えました。当初はABCクッキングスタジオの社内プロジェクトとして実施することを模索していましたが、最終的には親会社の既存事業との相乗効果が薄いとの判断に至り、独立して、2018年1月に今の『Hyperithm』を東京で創業しました。ソウルにも拠点があります。当時は暗号資産という新しいアセットクラス(投資資産の分類)が立ち上がる黎明期で、ファーストムーバー(先駆者)として市場に参入すれば大きなチャンスがある――こう考えました。伝統的な金融の世界では、プライベート・エクイティなどを手がけようとしても、すでに100年以上の歴史を持つ老舗企業が数多く存在し、新規参入者が割って入る余地は限られています。しかし、暗号資産(仮想通貨)やWeb3(次世代の分散型インターネット)の世界は全員が同じスタートラインに立っており、圧倒的な実績を持つ先輩がいませんでした。『自分たちにも勝機があるかもしれない』という確信が起業を後押ししました。Hyperithm提供(c)KOREA WAVE―『Hyperithm』とはどんな会社ですか。日本や韓国で初となる機関投資家・富裕層向けの暗号資産金融サービス会社です。主に「暗号資産の運用事業」と「ベンチャーキャピタル事業」を展開しています。運用事業では、相場変動の影響を極力受けない市場中立的なアービトラージ戦略に特化しており、市場の浮沈に左右されない安定した運用を実現しています。具体的には、固定利率型の暗号資産レンディングサービスや、成果報酬型のアクティブファンド(日本円・米ドル建)などを提供しています。ベンチャーキャピタル事業においては、世界各国の55件以上のWeb3プロジェクトへ出資し、強固なグローバルネットワークを構築しています。変化の激しい暗号資産業界において、創業以来8年以上にわたり一貫して黒字経営を維持している点が大きな強みです。その優れた財務基盤と実績から、韓国のサムスン電子やIT大手カカオ、米暗号資産交換業大手コインベース、LINEといった各国のグローバル大手企業から株式による資金調達を実現しています。今年はHyperithmのケイマン籍のファンドを立ち上げ、グローバルの機関投資家への受け皿をさらに広げています。 ―社名の由来を教えてください。Hyperithmとは「Hyper(ハイパー)」と「Algorithm(アルゴリズム)」を組み合わせた造語で、私が命名しました。その理由は「.com」のドメインを取得するため。既存の単語では「.com」のドメインはだいたい取られてるんですね。新しい言葉を作ることで独自のドメイン名を確保したというわけです。 ―日本での起業に戸惑いはなかったですか?来日して1年目、かつ見知らぬ土地で起業に踏み切ることは、心理的に非常に大きなハードルがありました。挑戦すべきだと頭では理解していても、崖からジャンプしようとする瞬間に足がすくんでしまうような停滞期があったのです。その際、背中を押してくれたのが、韓国のカカオです。2018年1月、同社の創業者であるキム・ボムス(金範洙)氏と偶然お会いする機会がありました。キム・ボムス氏は日本を好み、頻繁に来日して都内のホテルに滞在されていました。当時、ブロックチェーン市場が急速に盛り上がる中で日本の動向に関心を寄せておられ、韓国の若者が日本でWeb3関連の起業に奔走している現状を知り、カカオとしてエンジェル投資の実施を決定してくださったのです。実質的な経済的価値以上に、この投資がもたらした心理的サポートは計り知れませんでした。韓国を代表する大企業が自分たちの将来性を認め、株式を通じた資金調達に応じてくれたという事実、つまり自分のビジネスモデルやビジョンが肯定されたという自己認識が、大きな自信へとつながりました。 【後編】へ続く ロイド・リー代表 資産金融サービスプロバイダー『Hyperithm』の創業者兼CEO。日本と韓国を拠点に機、関投資家や適格投資家を対象とした暗号資産のウェルスマネジメント事業を展開。 取材・文・写真=KOREA WAVE編集部 
2026-06-22
【独占インタビュー】水上恒司×ユンホが生んだ化学反応  日韓タッグで挑む『TOKYO BURST-犯罪都市-』
俳優の水上恒司が新たな魅力を爆発させている。韓国発の大ヒットシリーズ『犯罪都市』を、日本ならではのエッセンスを加えて映画化した『TOKYO BURST-犯罪都市-』。主演を務める水上恒司は、本作で熱血元暴走族総長の刑事・相葉四郎を熱演した。激しいアクションだけでなく、仲間たちとの絆や人間ドラマも描かれる本作。作品への思いから、役作り、そしてバディを組む東方神起・ユンホについてまで、水上が率直な言葉で語った。(c)K Side―まず、『TOKYO BURST-犯罪都市-』の魅力をどのように感じていますか?「この作品の魅力は、一人のキャラクターに頼り過ぎていないところだと思います。それぞれのキャラクターにしっかり役割があり、俳優陣が情熱を持って丁寧に作り上げている。その魅力が掛け合わさることで、作品全体の力になっているんです。脚本の面白さはもちろんですが、それを映像として切り取るスタッフの技術も素晴らしかった。役者として見ても、本当に総合力の高い作品だと感じています」 ―韓国版とは違う、日本オリジナルストーリー版ならではの魅力はどこにあると思いますか?「日本で銃が登場すると、どうしても現実味を感じにくい部分があると思うんです。だからこそ、この作品は肉弾戦を中心に描きました。チェイスシーンも車ではなく自転車を使うなど、日本らしいリアリティを追求しています。日本のアクションエンターテインメントとして、ここまで成立させることができたのは大きな挑戦でしたし、僕自身も勇気をもらえた作品になりました」 ―相葉四郎という役を演じるうえで心がけたことはありますか?「内田監督に勧めていただいた北野武映画を観ていました。作品の質感自体は『TOKYO BURST-犯罪都市-』とは少し違うんですが、人間の感情が豊かに描かれているところにはすごく惹かれました。僕自身は昭和を知らない世代なんですが、よく『昭和っぽい』と言われるんです。それはきっと、昭和を生きた方々から受けた影響がどこかにあるからだと思います。感情が豊かで、人間らしく生きる人に魅力を感じる。その部分は相葉という役にも通じていた気はしますね」 ―今回のアクションはハリウッド級の激しさでしたが、特に苦労したシーンを教えてください。頭突きで福士蒼汰さん演じる村田蓮司をクラクラさせるシーンもすごかったです(笑)。「アクションは基本的に相手を見ながら動けるんですが、頭突きは目線を切ることが多いので距離感をつかみにくいんです。実際に一度だけ福士さんに頭が当たってしまったことがあって……。でも、大事にはならず、ちょっとクラッと来たとおっしゃっていましたが、そのあと僕も食らいまして、おあいこに(笑)。改めて難しいアクションだと実感しました。今回僕は懲らしめていくという構成を考える上で、相葉の得意なプロレス技を研究しました。プロレス技って、見ようによってはいい意味で隙だらけなんですね。命をかけている相手との戦いの中にどう落とし込んでいくかというのが、一つの大事なポイントだったので、それを考えていました。だから相手に隙がある時に、例えばスタン・ハンセンのポーズをするとか(笑)。別に誰かに見られているわけでもないのに、そんなことをするのが相葉。相葉はたとえ相手がひとりでも見せることに対する欲や快感があるんです。でもね、ここは映画を見ているお客さんから、「いやいや、この間にパンチすれば勝てるよね」と突っ込まれないよう、一つでも懸念点を減らしていく作業を今回はアクション中に考えていました。ひとつひとつの動きに理由を持たせて自然に見えるよう、細かい部分まで作り込んだのは大変でした」 ―東方神起・ユンホさんとの共演はいかがでしたか?「ユンホさんは、僕が子どもの頃から第一線で活躍されている方です。長く走り続けていること自体が本当にすごいことだと思いますし、その人柄には心から尊敬しています。歩んできた道のりは想像することしかできませんが、それだけの経験を重ねてもなお、あの誠実さを持ち続けている。そこがユンホさんの一番の魅力です」   ―特に印象に残ったことはありますか?「もちろんパフォーマンスやお芝居も素晴らしいんですが、やはり人柄ですね。とても気遣いがすぐれた方。やっぱり人がついてこなければ長く活躍し続けることはできないと思いますし、ユンホさんを見ているとその理由がよく分かります」 ―韓国の観客にはどんな風に届いてほしいですか?「日本と韓国、それぞれの文化が出会うような作品になってくれたらうれしいです。僕自身、この作品を通して出会ったスタッフの皆さんとまた一緒に仕事がしたいと思っていますし、いつか“またよろしくお願いします”と再会できる未来を期待しています」 ―韓国版『犯罪都市』シリーズの主演、マ・ドンソクさんについては?「マ・ドンソクさんまだお会いしたことはないんですが、俳優としてだけでなくプロデューサーとして現場に立つ姿をぜひ見てみたいです。世界的なシリーズを作り上げている現場で何が行われているのか、自分自身の学びにもなると思いますし、いつか直接お話しできたらうれしいですね」(c)K Side みずかみ・こうし1999年5月12日生まれ、福岡県出身。身長178㎝。血液型O型。2018年にドラマ「中学聖日記」でデビュー。2021年には映画『望み』『ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-』『弥生、三月-君を愛した30年-』の3作品で第44回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。以降、NHK大河ドラマ「青天を衝け」、連続テレビ小説「ブギウギ」、「シナントロープ」など話題作に次々と出演。2024年には、映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』で第47回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。公式Instagram https://www.instagram.com/koshi_mizukami_official/ 『TOKYO BURST-犯罪都市-』絶賛公開中出演:水上恒司、ユンホ(東方神起)、オム・ギジュン、福士蒼汰ほか監督:内田英治 脚本:三嶋龍朗、内田英治公式HP https://movies.kadokawa.co.jp/tokyoburst/ 取材・文=Ikushima Maki写真=浦田大作(c)K Side 
2026-06-21
ペ・ヨンジュンもBTSも来る前から―― “スンデの神様”が見続けた新大久保
後編【日韓ビジネス仕事人 file.004】韓国料理店「辰家」代表チョン・ピョンジン 今では年間を通じて多くの人が訪れる新大久保。K–POPや韓国俳優の推し活を筆頭に、韓国料理、韓国コスメ、韓国カフェ。若い世代を中心に韓国カルチャーの発信地として知られている。しかし、チョン・ピョンジン氏が店を開いた当時、この街はまったく違う景色だった。「当店のスープ料理は、韓国で生まれたものを持ち込んだのではなく、日本の地で一から生まれ、34年間、召し上がってくださったお客様の声と愛情によって育てられてきた「この店だけの味」です。国の味を伝えるだけではなく、日本のお客様と共に歩みながら成長してきた、34年の歴史が詰まった一杯です」そう語るチョン・ピョンジン氏の思いを聞いた。【後編】代表のチョン・ピョンジン氏(c)K Side 【前編】はこちらから  ―新大久保が大きく変わったと感じたのはいつ頃でしょうか。「2002年の日韓ワールドカップですね。その後にペ・ヨンジュンさんがあって、そこから大きく変わりました。それまでは治安のよくない街でねえ(苦笑)。韓流ブーム以前の新大久保を知る人は、今では少なくなりましたね。昔は会う人、会う人みんな知り合いだったし、隣の店も、向かいの店も知り合いだったのに、何軒も入れ替わりました。みんなで助け合っていたんですけどね」  ―店同士が競争するというより、異国で暮らす仲間同士として支え合う文化があったんですね。それでも辰家は34年経った今も同じ場所で、新しいメニューを作り続けていますよね。メセンイ(カプサアオノリ)のトックとか、めずらしいメニューもたくさんあって、どれもおいしいです。「メセンイは最近追加したメニューです。今でも新しいメニューを考えています」  ―チョンさんは現在も韓国へ足を運び、新しくおいしいお店ができたら食べにいくとおっしゃっていましたが、大変ですよね。「材料は昔より簡単に手に入るようになりました。でも、それでも韓国へ行くといい素材が見つかります。もっと良いものがあれば使いたいですから。すべて無添加のものですけどね。それは創業当時から変わらないです」「辰家」名物のスンデ(c)K Side  ―他の場所へ移ろうと思ったことはなかったのでしょうか。「ありました。でも行かなかったですね。ここが好きなんです」  ―街は変わったし、まわりも変わったけれども、今の新大久保をどう見ていますか。 「いい街になりましたね。昔は雰囲気も怖かったんですよ。ひったくりとか、売春とかも横行していて、歌舞伎町より怖かったんじゃないですか」 ―これからも辰家は変わらずにいくのでしょうか。目標も教えてください。「そうですね。目標は…そんなにないです(笑)。新しいメニューも考えながら、お客さんに喜んでもらえる店でありたいと思っています」 34年前、韓国料理店がほとんどなかった街で、4卓から始まった小さな店。今では、多くの人が韓国文化を楽しむ街になった。その変化を最前列で見続けてきたチョン・ピョンジン氏は、今日も変わらずスンデを作り続けている。“スンデの神様”と呼ばれる理由は、その味だけではない。隣の店も、向かいの店も変わった。昔は会う人みんな知り合いだった。助け合いながら商売をしていた時代もあった。それでも辰家は変わらずこの場所にある。34年前、韓国料理店がほとんどなかった新大久保で店を開いたチョン・ピョンジン氏はいつも穏やかに、今日も新しいメニューを考え、新しいいい食材を探している。  チョン・ピョンジン代表 韓国料理店「辰家(ヂンガ)」オーナー。1988年に来日し、1992年に「コリアスンデ家」を創業。手作りスンデをはじめとする本場韓国料理を提供し続け、新大久保を代表する韓国料理店へと育て上げた。34年にわたり街の変遷を見守りながら、現在も新メニュー開発と食材研究を続けている。 取材・文・写真=Ikushima Maki (c)K Side 
2026-06-15
韓流ブーム前夜、新大久保で4卓から始まった―― ”スンデの神様”が歩んだ34年
前編【日韓ビジネス仕事人 file.004】韓国料理店「辰家(ヂンガ)」代表チョン・ピョンジン 現在、新大久保を代表する韓国料理店として知られる「辰家(ヂンガ)」。なかでも看板メニューのスンデは、「辰家で初めてスンデを食べた」「ここでスンデ好きになった」という日本人が数え切れないほどいる名物料理だが、スンデ以外のメニュー数も常に豊富で、夏限定で提供しているコングクスも絶品だ。その味を34年も守り続けてきたのが、オーナーのチョン・ピョンジン氏。新大久保では“スンデの神様”とも呼ばれる存在だが、本人はいたって物静かで、自らを語ることを好まない。 1988年、日本語を学ぶために来日。当時の新大久保は、今のような韓国カルチャーの街ではなかった。韓国料理店もわずかしかなく、韓流ブームもK-POPブームもまだ存在していない時代だった。代表のチョン・ピョンジン氏(c)K Side ―日本へ来られたきっかけを教えてください。 「1988年に来ました。その時は学生でした。日本語を勉強するためです。韓国では貿易会社に勤務していましたが、仕事を辞めて日本へ来ました。当時、日本が素晴らしい技術を持っていたので、実際に見てみたいという気持ちもありました」 ―その後、日本で生活を続ける中で飲食業の道へ進むことになった理由は何だったのでしょうか。「生きていくためですね(笑)。当時は韓国料理店も少なかったですし、ちょっとやってみようという気持ちです。当時、自分自身は料理が得意だったわけではないですけど、母(オモニ)の料理はおいしかったです。最初の店は今のお店の場所で、4卓しかない小さなお店でした」 1992年、『コリアスンデ家』という名前で創業。食材は無添加で安心して食べられるものを厳選し、市販の業務用キムチや添加物の入った素材は使わず、あくまでもお店独自の味を追求。当時から看板メニューは「スンデ」という、豚の腸、血液、春雨を使った韓国式ソーセージだった。名物のスンデクッパ サービスで出てくる自家製キムチも人気で、水キムチも絶品!(c)K Side ―私は「辰家」でスンデを知りましたし、やみつきになってしまい毎週通っていた時期があります。今でも毎月1回は食べないと気が済みません。夏限定のコングクスも濃厚でおいしいです。「はい、よくいらしてくださっていますね(笑)。私のスンデは、オモニの味に近づけるように作ってきました。開業時は毎週のように肉屋へ通い、自ら仕入れを行いましたね。現在のように物流が整っていない時代で、欲しい食材が簡単に手に入る環境ではなかったんですよね。コングクスも手間暇がすごくかかるので、韓国料理店で出しているところは少ないんです。でも、おいしいし体にいいので手間はかかるけれど、なんとかお店で出していきたいんですよ。それが苦労だったかと聞かれると、もう忘れてしまいましたね」 ―辰家の代名詞となったスンデには味の秘訣があるのでしょうか?「清潔というのが決め手です。何度も洗浄して臭みをとって、清潔さを保っています。韓国では一般的な料理ですが、日本人にはあまり受け入れられないんです。特に当時、日本人にとってスンデは未知の料理でした」  ―現在では、新大久保を訪れる多くの人がスンデを目当てに店を訪れます。 「『辰家で初めて食べました』ってよくみんな言いますね。当時は韓国旅行も今ほど身近ではなく、『スンデ』という名前すら知らない人がほとんどでしたから」 ―転機になった出来事はありましたか?「一つではないですね。少しずつです。でも、大きかったのは2002年のワールドカップですね。その頃は、お店の3分の1ほどを事務所として使っていて、スタッフが休憩できる部屋もあったんです。そこでみんなでW杯を見ながら盛り上がっていました。あの頃は楽しかったですねえ。その後、その事務所を客席に変え、さらに奥のスペースも広げながら、4回ほど改装を重ねました。そうして少しずつ店を大きくしていって、今の辰家になったんです」 広げたフロアは58席にもなった。訪れる有名人も多数©️K Side ―改装するよりも別の店舗を借りようとは思わなかったのでしょうか?「別の街で出店しないかという話はありました。でも、私はここが良かったんです」 本人は多くを語らない。しかし、その静かな言葉の裏には、一つの料理を信じて守り続けた職人としての時間がある。4卓から始まった小さな店は、新大久保とともに歩みながら大きくなっていった。後編では、韓流ブーム以前から現在まで、新大久保の変化を見続けてきたチョン氏に、“韓国カルチャーの街”となった新大久保の歴史について聞く。34周年記念!いつもお客様に感謝しているスタッフたちの優しさも人気(c)K Side 【後編】記事に続く チョン・ピョンジン代表 韓国料理店「辰家(ヂンガ)」オーナー。1988年に来日し、1992年に「コリアスンデ家」を創業。手作りスンデをはじめとする本場韓国料理を提供し続け、新大久保を代表する韓国料理店へと育て上げた。34年にわたり街の変遷を見守りながら、現在も新メニュー開発と食材研究を続けている。 取材・文=Ikushima Maki (c)K Side 
2026-06-08